この仕事を選んだ理由とは

仕事への思い
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【体動かすことしか頭にない!外遊び大好き!】
そんな私がこの職業を選んだ理由を今回は紹介させていただきます。

私は育ちが田舎だったため、田んぼや山や川で遊ぶ日々でした。
兄が二人いることもあり、どんな天気であれ、外で遊ぶことが多かったです。

その影響か、小学生のころから勉強が嫌いで、
体育以外の授業ではやる気スイッチ0%。体育になると300%になる。
本当に単純な性格で、じっとすることができませんでした。

そのまま高校3年生になった時に、
部活を続けたかったら進路を早く決めないといけないという
課題が私の前に現れました。

「体育ができる学校に進学する」しか頭になく、とにかく、
早く進路が決まる体育系の学校を先生に教えていただき、進学をきめました。

トレーナーになりたいとか、まったく頭になく、
「とにかく体を動かしていたい。」その理由で決めた専門学校。
親には「とにかく運動指導する人になるからお願いします。」と頭を下げたので、
理由がこんな思いだったことは口が裂けても言えませんが(笑)

今、思い返せば、田舎にはトレーナーという存在をまず知らないし、
チームについてもらったこともなく、強いチームにつくイメージがあったので、
私からはかけ離れた存在でした。

そんな思いの中、専門学校で体のことや、コンディショニングや、
体幹トレーニングなど、学んでいくにつれて、
初めて勉強することがたのしいと思え、興味がわきました。

トレーナーとは、何ができるかを知った専門学生の時に、
「私はトレーナーになって将来生きていく」と決めました。

トレーナーになって、たくさんの人のためになりたい。

いつかは地元に帰って恩返しがしたい。

もっとたくさんの方に頼りにされる存在になりたい。
そう思うようになりました。

そんな心情の変化が月日とともに流れるにつれて、
私の兄弟、親、祖父母も年を重ねていき体の不調や痛みを感じることが増えて、
整体や病院に行くことも多くなりました。

さらには、友達が結婚して妊娠し、産後のケアが必要になっている状況があったり、事故をした友達もいて、リハビリが必要な状態など、間近で見ていました。
当時専門学生だった私には、
何もすることができずにただただ見守って症状を聞くくらいかできなかったのです。

無力さを感じながら今できることを必死にやりながら、
「はやく力になりたい」という気持ちは大きくなり、勉強も頑張れました。

トレーナーはクライアントさんに触ることができず、診断もできません。

でも、トレーナーにはトレーニングをすることで、コンディショニングを整え、
その症状が再発しないように原因を見つけ出し、防ぐための予防ができます。
なってしまったことは仕方ないけれど、
そもそも不調や痛みがでない体にしてしまえば、病院にも整体にもいかなくても、
元気に過ごせるはずです。

最終手段として、病院や整体を頼るという選択肢にしてもらいたい。

その考えを伝えると同時に、
それを私たちトレーナーにはできるので、
自分が立派なトレーナーになり、身近な人を早く助けたいと思いました。

・どこに行ってもよくならなかった慢性不調

・諦めかけていた姿勢改善

・一人では頑張れないダイエットや体力向上

・もっと頑張りたいのにどうすればいいかわからないアスリートの子どもたち。

それが私なら助けることができるとわかった時には
ここで勝負していきたいと思うようになったのがきっかけです。

長々と語ってしまいましたが
こんな感じです(笑)

今後も記事チェックお願いします!!!

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